千葉市 歴史
江戸時代から第二次世界大戦 終戦
江戸時代には、現在の千葉市域の大半が佐倉藩の領土(この他に、市域は生実藩・曽我野の2小藩の本拠地となった)となった。
戊辰戦争後の明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県では、現千葉市は印旛県の領内に入れられた。しかし、1873年(明治6年)には印旛県と木更津県が合併されて千葉県が設置され、旧両県の境で千葉氏の本拠地でもあった現千葉市(亥鼻地区)に県庁が設置され、これ以後は千葉県の県庁所在地として発展することとなる。
市制施行により千葉市が誕生したのは、1921年(大正10年)1月1日のことである。この時点での市域は、現在の中央区の北半分から稲毛区の南東部にわたり、これは1889年(明治22年)に設定された千葉町の町域をそのまま引き継いだものであった。その後、徐々に周辺の町村を編入するとともに、海面の埋め立てを進め、現在の広大な市域が成立した。戦前、現在の川崎町の埋立地に日立航空機製作所と日立製作所などの軍施設が集中する軍都として発展したが、1945年(昭和20年)6月10日と7月7日に連合国軍による大規模な空襲(千葉空襲・七夕空襲)に見舞われ、市域の7割が壊滅する甚大な被害を受けた。
つづく